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東大理三の人と普通の人の学び方の違い。

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本屋に行くと「東大生の勉強法」などという本がずらりと並んでいる。今も昔も「東大」というキーワードは人々を魅了するようだ。優秀な彼らのメソッドを盗み自分自身のものにしようと考える人が世の中には沢山いるのである。

しかし、ほとんどの人がそうであるように、彼らの書籍を読んでも誰も優秀にはならない。これは東大生メソッドに限ったことではない。世の中には、色んな考え方ややり方を示した本があり、多くの人が読んでいるはずだが、それら本によって成長したという人はほとんど聞いたことがない。

この不思議について、誰もが知っているにも関わらず、誰もその原因を考えようとはしない。だから、今日もタイトルに「東大」が付いた本が売れていく。ある意味、本によって成長出来るのであれば、本がこれほどまで発売されることはないのだ。どんなに本を発売しようと誰も成長しないからこそ、色んな本を出す意味があるのだ。どんなに素晴らしい本を発売しても、成長しない人の人数はほぼ同じだからだ。出版社からすれば、本を読んで成長してしまい、同ジャンルの本が売れなくなるのは最悪だが、読者の多くは、どんなに本を読んでも成長しないのは出版社からすれば有難い限りのことなのである。

努力をしなくなった

しかし、私は本を読んでも意味がないと言っているのではない。少なからず本を読んできた私が思うに、素晴らしい本は沢山あるし、この本をマスターすればきっと変わるし成長すると思える本は沢山ある。にもかかわらず、成長しないのは、本に原因があるのではなく明らかに読者に問題があるからである。

私も含めてそうだと思うが、本を1一度しか読まない人がほとんどだろう。多く読んでも10回読むとかその程度だろう。しかし、考えてみて欲しい。学生時代本を10回読めば、本に書いてあることをマスターできただろうか?10回読めば、その理論を実践できるようになっていただろうか?数学の公式にしても英語にしても、10回では全然足りなかったはずだ。数え切れないほど、何度も読んでかつ練習問題や応用問題をやって初めてマスターできたと感じていたはずである。

少なくともこの記事を読んでいる人は20歳以上だろう。であるならば、10代の頃よりも、はるかに記憶力が悪くなっていることに気づいているはずだ。昔なら、すぐに覚えられていたことがいつになっても覚えられないという経験は誰もがしているはずだ。我々人間は、10代までが何かを吸収するのに最適な状態である。20代を過ぎれば、どんどん物事を吸収する力は落ちてくる。それは医学的にも証明されているし、誰もが同意してくれる事実である。

だとすれば、20代以上の我々が何かをマスターしようとするとき、10代の頃の努力と同じもしくはそれ以下ではマスターできるはずがないのである。脳がどうしようもなく老化してしまっているのだから、脳の特徴を上手く利用して、効率よく覚える方法を見つけなければ、何にも身に付かないのである。にもかかわらず、我々は10代のような頃の努力をしない。そうではないだろうか?だとすれば、何かをマスターしようと思ってもマスターできるわけがないのである。

中途半端&自分の考え方を入れ込む

上記では、そもそも脳の仕組みからして覚えられなくなってきていることがマスターできなくなった1つの原因であると書いた。しかし、重要なのはそんなことではない。この記事の本題はこれからだ。

先日、あるコンサルタント(元BCG)の人の動画を見ていて、非常に面白かった。東大理三出身の人がなぜ優秀なのか?彼らと我々普通の人では学習するという意味においてどんな違いがあるのか?について語った動画である。彼が言うには、東大理三の人は、とにかく言われたことを、自分自身で再現出来るようにしてくるそうだ。そのうえで、応用しようとするとのことだ。

完全再現してから応用する

例えば、彼ら東大理三出身の人は上司が「この課題についてこのペンを使って考えてみてくれ」と言うと、東大理三の人は、そのペンを使って考えるのだそうだ。はっきり言って、どのペンで考えようがどっちでもいい。本質的には、どのペンを使うことなんて「どうでもいいこと」である。しかし、彼らはそんなどうでもよいことでさえそのままやろうととするのである。なぜ、そんなことをするのか?ある意味無駄ではないか?とさえ感じる。

しかし、彼ら東大理三の人が大切にしているのは、完全なる再現性の実現であるそうだ。彼らよりも経験がある上司や先輩の考え方を完全コピーして、同じような問題にぶち当たったときに、上司や先輩と同じ思考プロセスで解決できるようにすることである。その中には同じペンを使うということも含まれているほどの完全なるコピーである。彼ら東大理三の人は、そこまで実践した上で質問をしてくるそうだ。課題に対して上司や先輩の言われた通りにまずはやってみる。その中で疑問に感じたことなどを質問して、より完全なる再現性を実現するのである。

しかし、彼らはそれで終わらない。完全性を実現した上でそれを応用しようとするステップが次にある。このステップに行けるのは、完全コピーしているからこそである。応用できるとは、その理論や考え方をマスターしているということでもある。中途半端にマスターしても応用は効かないのは当然である。こうして理論や考え方をマスターし、1つ優秀さを積み上げるのである。

一方、再現性を追求しない人は、ある程度理解したところで、自分自身の考え方を紛れ込ませようとしてしまうそうだ。上司や先輩がこう考えたけど、私としてはこう考えるべきだと「完全にマスターする前に」勝手に考え方やプロセスを変えてしまうのだそうだ。これは上司や先輩の考え方をマスターするという意味においては良いとは言えない。自分の考え方を紛れ込ませた時点で、その考え方は上司や先輩が解決してきた解決法や考え方ではないからである。

そのような勝手な考え方を紛れ込ませてしまうと、もはや問題解決は出来ない代物になってしまう。しかし、それに気づかずこの理論・考え方は使えないと判断してしまう。実にもったいないことである。また、もちろん応用も効かない。考え方を中途半端に知っているだけだから、どういう状況でどう応用すれば効果が期待できるかが分からないからだ。結局のところ、その人の中では、この理論・考え方は使えないものとして、時間とともに記憶から消えていくのである。たとえ、実践したとしてもねじ曲がった理論では何も解決することは出来ない。結局は、学習した後も同じ人間であり何も変わっていないのである。

東大理三の人と我々普通の人との違いは何だろうか?私は「素直さ」と「実践力」であると私は思う。東大理三の人は、素直に上司や先輩の考え方を受け入れる。また、それだけでなく、実際にその理論を使ってどんな問題は解決出来て解決できないのか?どんな時に有効でどんな時は役立たないのかを自分の手を動かして身に付けようとする。しかし、普通の人はどこかで自分の理論や考え方を紛れ込ましてしまう。なぜか素直にそのままを受け入れようとはしない。また仮に受け入れたとしても、それを自分の手を動かして実践しようとはしない。しかし、ほとんどの場合、自分の手を動かし自分の頭で考えることでしか理解できないことが殆どだ。

まとめ

我々が本を読んでも優秀になれない理由。それは「素直さ」と「実践の無さ」ではないだろうか。素直に勉強する人は多少はいると思っているが、実践する人は皆無であろうと推測する。本を読んで何もしない人がほとんどだろう。優秀さは知識の多さではない。知識の多いだけの人と、実際に仕事に活かして結果を出す人の違いは、その実践力に他ならないのだと私は考えている。

また、私の知っている東大理三の人は、自腹を切って理論を実践するための会社を期間限定で立ち上げていた。リアルな場所で実践したのである。彼らに私たちがかなわない理由は、そういうところである。

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