「パレートの法則」の欠点
「パレートの法則」のことを知っている人は多いだろう。いわゆる顧客の約20%によって売上の80%が占められているという法則である。企業等によっては多少の違いはあれど、実際だいたいこのくらいの比率になることが知られている。そして、この「パレートの法則」によって「新規顧客よりも既存顧客を大切にすべきだ」という主張が日本でも最近は主流になってきているようだ。新規顧客を獲得するためのコストよりも既存顧客からの売上を上げる方がコストがかからないからというのが主な理由だ。
この理論は、多くの市場が成熟化し人口が今後も減少し続けることが確定している日本企業にとって重要な理論となった。日本市場においては他国よりも新規顧客獲得は難しくなる。そのような環境下に目を付け、CRMを導入し顧客ロイヤリティを向上させることで売上を可能な限り維持しようという主張がCRMベンダーからなされるようになった。実際、近年日本企業の多くがCRMを導入し試行錯誤を続けている。
しかし、この理論とCRMによって顧客ロイヤリティを向上させることが本当に良い施策なのだろうか?その疑問のきっかけとなった理由は、「CRMを導入した企業の殆どが顧客ロイヤリティを向上させることが出来ていない」という事実である。少なくとも私は、CRMで顧客ロイヤリティを高めて売上を拡大出来たという話を聞いたことがあまりない。マーケティング関連記事ではCRMによって売上が向上したようなことが書かれているが、それらの記事の多くは自社の宣伝やCRMベンダーの宣伝が目的であり事実ではないことが殆どだ。実際、私は目の前で事実ではない記事が作成され公開されるところを目の当たりにしたことがある。中にはCRMを導入する前なのに効果があったという悪質な記事まで実際に存在する。また、「CRMを導入したら30%売上が向上した」という記事を見つけたので、企業の財務諸表を見てみると実際には売上が増加していないこともよくあることだ。売上が下がっているところすらある。きっとこれは、都合のよい軸で見ると30%増加しているように見えると言っているだけだ。業界メディアに掲載される記事は殆どが嘘だと私は考えているし、一部の業界の人間の中にはこのような根拠のない記事を法的に取り締まれないか検討している人もいるくらいだ。それくらい嘘が氾濫しているし、多くの企業が誤った情報を信じ込んでしまっている。
いずれにせよ、CRMを導入することで本当に顧客ロイヤリティが向上し売上が上がった企業というのは殆どない。CRMベンダーによって効果が出ているように「感じさせられているだけ」であり、実際には効果は出ていないのが現実なのだと考えられる。それにしても、なぜ、既存顧客を重視しても効果が出ないのだろうか?それは、一見、正しそうに見える「パレートの法則」にも時系列で見ると本当は80:20の関係ではないからだ。
優良顧客の半数以上は、本当の優良顧客ではない。
数年前、「ブランディングの科学」という本が発売された。(つい先日2020年8月末にもパート2が発売されている)これら本の中に書かれていることは時系列的に見ると「パレートの法則」は80:20にはならないというのである。具体的に説明すると100人の顧客のうち20人によって売上の80%が占められているように見えるが、翌年には20人の優良顧客の半分以上が入れ替わっている。つまり、20人のうち少なくとも10人は、その年に偶然いつもより多めに購入しただけであり、本当の意味での優良顧客ではないということである。よく顧客をピラミッド型の図表で表現することがあるが、上位20人のうち半数の10人はその一つ下のカテゴリの人が数回多く購入しただけだったということだ。
なぜ、そのようなことになるのか?それはあと1回多くいつもより多く購入すれば優良顧客になる人が多く存在するからだ。もしくは、偶然その年は商品サービスを多く購入する機会があっただけだからだ。読者の中にもそのような経験が一度か二度はあるはずだ。その年は、偶然お客様の来客が多くてワインを大量に購入することになったり、ライフイベントのために一時的に購入量が多くなることは誰にでもある。だから、企業側から見れば上位20人に入っているから優良顧客のように見えるが、翌年にはいつも通りの購入量・購入頻度に戻るのである。
結果として、本当の優良顧客というのはほんの少しの割合しか実際には存在しない。残りの優良顧客に見える人からの売上は翌年には半分は失われるのである。そして、翌年偶然にも購入量が多くなった人たちが現れるという繰り返しなのである。そのような中でその年の優良顧客に向けてロイヤリティ向上施策をしても想定した効果を上げることは出来ない。半分以上の優良顧客は本当の意味で優良顧客ではないからだ。偶然購入せざるを得ない状況だっただけであり、企業側が想定するようなロイヤリティを顧客は持っていない。だから、企業がどんなにロイヤリティを高めようと努力しても顧客には何も響かないのだ。
優良顧客からさらに売上を上げることは出来るのか?
また、そもそも優良顧客を重視することは効率的ではないということもある。例えば、あるブランドのシャンプーのヘビーユーザーがいるとする。毎月のようにそのブランドを選択しているし、顧客自身もこのブランドのシャンプーがお気に入りだとしよう。しかし、そのような優良顧客からさらにシャンプーを購入してもらうことはほぼ不可能である。特にシャンプ―などに関して言えばどんなにそのブランドが好きだろうが愛していようが、使用回数を今以上に増やすことは出来ないからだ。このブランドが好きだからいつもより余計に使おうとはならない。また、金銭的にも限界があるだろう。
では、そのブランドのコンディショナーなど他のカテゴリ商品を購入してもらおうとする試みはどうだろうか?確かに、ブランドへの印象が良いのでその可能性はあるだろう。しかし、考えてみても欲しい。それほどまでにそのブランドを愛している優良顧客数は多いのだろうか?ボリュームが少なければ努力した結果は期待するようなものにはならない。ほとんどの企業においてそこまで愛されているブランドというのはこの世に殆ど存在しない。また、それほど愛しているのであれば既に他のカテゴリ製品を購入し利用している可能性は極めて高い。そのような優良顧客に対して多くの予算を投じることが本当に企業の成長に大きく寄与するのか甚だ疑問である。もちろん維持には役立つだろうが。
誤解のないように言っておくが、決して優良顧客への施策をやるべきではないと言っているのではない。優良顧客は重要だ。その企業にとって一定の売上を継続的に確保してくれる重要な顧客である。しかし、それら優良顧客からさらに売上を獲得しようとする試みは難しく現実的ではないと言っているのだ。もし、さらに売上を伸ばしたいというのであれば優良顧客に施策を集中することは決して効率の良いことではないのだ。つまりは、さらに売上を向上させたいという目的があるのであれば、優良顧客ではなくライトユーザーや商品を利用したことのない人から購入してもらう施策に注力する方が効率的だと言っているのである。(もちろん、これ以上売上を増加させる必要はないのであれば話は別である。)
継続率100%の商品サービスは存在しない
また、さらに言うと優良顧客はいつまでも優良顧客でいてくれるわけではない。どんなに企業が努力したところで、人間の嗜好は変化する。年齢を重ねれば重ねるほど価値観は変化するし、時代の価値観も変化する。そのような中で一度優良顧客になってくれたからといって、いつまでもあなたのブランドを利用してくれるわけではないのだ。あなたの会社も同じはずだ。継続率100%の商品サービスが存在しない以上、あなたの会社の優良顧客もいつかは優良顧客ではなくなる。
そのような意味で、実は企業の多くの売上比率は一般的に言われているような優良顧客によって売上の20%が占められているのではなく、ライトユーザーやミドルユーザーによる売上が意外と多いのである。「ブランディングの科学」によると少なくとも半数はミドルユーザーやライトユーザーからの売上によって占められているのが実際の割合だそうだ。そして、優良顧客から今以上に売上を増加させることは難しい。しかし、ミドルユーザーやライトユーザーからはさらに売上を増加させる可能性はある。企業として本当に注力すべき顧客はミドルユーザーやライトユーザーであり未使用の人なのである。
ダブルジョパディの法則
パレートの法則は、その瞬間の顧客構成を切り取った理論である。しかし、現実にその理論を実務に応用しようとすると期待した結果にならないのは、そもそも優良顧客は企業が想定しているよりも少ないし、優良顧客からの売上増加はほぼ不可能であるからだ。では、ミドルユーザーやライトユーザーにターゲットを絞るべきだということになるが、「ブランディングの科学」ではミドルユーザーやライトユーザーのロイヤリティを高め購入回数を増加させるためにはCRMが有効だとは言っていない。というのも、どんな国のどんな業界や企業においても、ロイヤリティは市場シェアと相関関係があるからだと主張している。つまり、市場シェアが高まれば少し顧客ロイヤリティは高まり、市場シェアが低ければ少し顧客ロイヤリティは低くなることをあらゆる国あらゆる業界においても同様だと主張している。CRMに注力しているか、注力していないかはロイヤリティには影響していないのだ。
市場シェアが高いということは、顧客ロイヤリティが少し高い。顧客ロイヤリティが少し高いということは、市場シェアが高い。この法則を「ブランディングの科学」では「ダブルジョパディの法則」として紹介している。色々と反論したくなる人も多いだろう。「市場シェアが低くても、ロイヤリティを高めることが出来るはずだ!」と言いたくなる気持ちも分かる。しかし、過去数十年の研究では、そのような企業は一部の例外を除いてほとんど観測されておらず、ほとんどの市場において「市場シェアが高い場合、顧客ロイヤリティは高い」というダブルジョパディの法則が当てはまるそうだ。もちろん、すべての企業がそうだと言っているのではなく、その傾向があるのが殆どだということだ。一部例外的に「市場シェアが低くても、顧客ロイヤリティも高い」という場合も存在するそうだが、詳しくは本書をご確認頂きたい。
なぜ「ダブルジョパディの法則」が起きるのか?
この「ダブルジョパディの法則」がなぜ起こるのか?それは、「メンタルアベイラビリティ」と「フィジカルアベイラビリティ」による影響によるとと「ブランドの科学」では主張している。「メンタルアベイラビリティ」とは、どれだけ多くの人にそのブランドを想起してもらえるか?どれだけそのブランドのことを知っているのかということである。そして、「フィジカルアベイラビリティ」とは、そのブランドの見つけやすさや購入のしやすさのことだ。つまり、何かの購入機会があったときに、そのブランドを想起されやすく既に十分にブランドの魅力を知っていて、かつ、そのブランドを見つけやすく購入しやすい状態が重要だと主張している。
例えば、あなたがマクドナルドで食べたハンバーガーを好きになれなかったとする。しかし、それでもあなたは再びマクドナルドを訪れる機会がある。なぜなら、マクドナルドで飲食することがとても簡単だからだ。あなたの頭の中からマクドナルドが消えることはないし、店舗数が多いので訪問する機会は必然的に多くなる。コーヒーを飲むだけであれば十分にロイヤリティの向上につながる可能性がある。ロイヤリティがそこまで落ちることはない。一方で、知らないハンバーガー店については、あなたの頭には何の知識もない。仮に知っていたとしても、店舗数が少ないのでロイヤリティが高まる可能性は低くなるし、顧客数も少なく幅広いサービスを展開することは出来ないため、ロイヤリティも低くなるということだ。
しかし、「ブランドの科学」ではロイヤリティというのはどんな業界でも大きな差はそれほどないと主張しているように個人的には感じている。特に近年は商品サービスがコモディティ化していることもあり、大きな差が生まれにくくなっているからだと思う。また、ロイヤリティというのはどんな業界でも極端に高くなるということもないと書籍を読んで私は感じた。色んなエビデンスが書籍には掲載されているが、どの業界でもロイヤリティが極端に高くなっている企業が存在することはないようだ。どんな商品サービスでもどんな業界でも市場シェアの違いはあれど大体平均的な数値になるようだ。ある意味ロイヤリティというのは業界水準が存在し、その水準を大きく上回るということはそもそも難しいと言えるのだろう。もし、ロイヤリティをどうしても高めたいのであれば市場シェアを高めることが最も効果的なのだと考えられる。
顧客は競合企業と重複している
確かに既存顧客は大切な存在である。特に日本市場においてはそうであろう。しかし、だからといって一番重要なのが既存顧客というわけではない。新規顧客の獲得を諦めてしまったら少しずつ確実に売上は減少していくだろう。今の日本企業の傾向としてあまりにも既存顧客への意識が向いているように感じてならない。新規顧客獲得のために考え続ける必要が絶対にある。「ブランディングの科学」においては、新規顧客を獲得するためには競合企業から顧客を奪うべきだと主張している。そんなの無理だと思う人がいるかもしれないが、著書では顧客はそもそも競合企業と重複していることが多いと主張している。そして、市場シェアが高い商品サービスの顧客ほど他の競合企業と顧客が重複している。
つまり、Aブランドの顧客はBブランドの顧客でもあるということだ。スターバックスしか行かないという人は殆どおらず、たまにはエクセルシオールに行く人がいるようにスタバとエクセルシオールは顧客を共有している。また、市場シェアトップのAブランドの顧客は市場シェアの低いBブランドの顧客である確率も高い。つまり、店舗数の少ないカフェ(市場シェアの低い)ブランドの顧客は、スターバックスの顧客でもある割合が高いということだ。市場シェアの低いブランドほどトップブランドの利用者でもあるのだ。
このような状況において「ブランディングの科学」では、売上を上げるためには、自社ブランドを利用したことがなく、他ブランドしか利用していない顧客を獲得するか、自社ブランドを利用する頻度を高めるしかないと主張する。そのために、自社製品サービスの「メンタルアベイラビリティ」と「フィジカルアベイラビリティ」を十分に検討すべきである。なぜ、自社ブランドを利用せずに他社ブランドを利用しているのか?その理由を見極め調整することで新規顧客を獲得するのだ。
「新規顧客」を獲得し続けること=変化し続けること
上記のように、結局のところ既存顧客に集中しすぎることはさらに成長する戦略としては現状維持にしかならないだろう。現状維持で十分という考え方も否定しませんので、その場合はこの記事は無意味だ。しかし、既存顧客がいつまでも既存顧客ではないという現実は何も変わらない。なので、常に新規顧客を獲得し続けることが企業の成長及び生き残るためには絶対に必要なものであり、絶対におろそかにしてはならないことなのだということだ。そして、新規顧客を獲得するということは、より良く変化するということに他ならない。自社が獲得出来ていない理由を探し、新規顧客を獲得するためには自社がより良く変化することに他ならない。成長し続ける企業は常に変化し続ける企業であるということは真理なのだと改め感じた。